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抜き書き-立憲主義とはなんなのかを考える

  • 2016年3月18日(金) 23:10 JST
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思想・社会学

有料電子マガジン @synodos 2015年12月vol186より。 

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橋本努-憲法改正を視野に入れた立憲主義は、いかなる価値に服すべきか――安保法制案はまだ熟していない

(前略)

「立憲/非立憲」の対立は、しかしよく考えてみると、「立憲主 義(constitutionalism)」とは何かをめぐって、さまざまな見解を含んだ雑駁な対立であることが分かるだろう。立憲主義と呼ばれる立場には、以下のようなものが混在している。

 (1) 議会の手続きを順守すべきとする「手続き的民主主義」(例えば、野党に対して規定の質問時間を確保せよ、という見解)
 (2) 与党は野党との協議を通じて広範なコンセンサスを作るべきであるという「合意型民主主義」
 (3) 国民的な了解のない解釈改憲は違憲であるとする「憲法民主主義」(憲法解釈にかかわる法案は、国民的な議論の興隆と世論調査の結果を重視せよ、という見解) 
(4) 集団的自衛権は憲法9条の正統性を担保している司法判断 (とその背後にある法律家共同体のコンセンサス)によって正当化されないとみなす「司法的立憲主義」 
(5) 集団的自衛権のみならず、自衛隊の存在すらも、憲法9条に照らして違憲であるとみなす「原理的な立憲主義=不戦主義」(憲法の文 言を厳密に解釈して、「にせ解釈」を排する立場)
(6)自衛隊にせよ集団的自衛権にせよ、解釈改憲によってではなく、現行の憲法の文言を改正することで正統化されなければならないとする「民主的な憲法制定権力の行使による立憲主義」。( そのためには憲法の第96条に即して改正しなければならないという見解)

 

 およそ以上のような立場があるだろう。他にもさまざまな立場がありうるだろうが、ここで重要なのは、「立憲主義」といっても「立憲」という言葉の解釈いかんで 、ずいぶん異なる立場になる点である。私たちは「立憲主義」を重んじるといっても、ではどのような意味でこれを重んじるのかについて、立場をはっきりさせなければならない。

とくに問題となるのは、「立憲主義」を(4)の解釈で理解 する場合である。この立場、すなわち「司法的立憲主義」は、逆説的にも「集団的自衛権」を認めることになってしまうように思われる。というのもこの立場は、「集団的自衛権」について、これが現時点においては違憲で あると判断するとしても、数十年ののちには合憲であると判断するにいたるかもしれないからである。

それは例えば、自衛隊をめぐる憲法判断が、この数十年の間に変化したことを踏まえるならば、十分に起こりうるだろう。法律家たちのコ ンセンサスは、時代を通じて変化するものと予想される。

自衛隊の合憲化については、当時の支配的な憲法学においては、違憲であり「にせ解釈」に基づくものとされていた。自衛隊の合憲化は、決して法律家たちのあいだのコンセンサスに 基づいて合憲とされたわけではない。ところが自衛隊は、その後の歴史のなかで、しだいに合憲ないし合憲に近い存在として、法律家たちのあいだでも認められるようになった。

このような歴史的経緯を踏まえると、(4)の立場は、論理的 な弱さを露呈する。違憲と思われる法案も、歴史に堪えれば合憲になり得るということを、認めざるを得ないのである。集団的自衛権は、それがもし歴史のなかで承認されるならば、やがて自衛隊と同じように、合憲とされ る可能性が十分にある。

(むろん、憲法が自衛隊を認めないのは良識的に考えておかしい、したがって憲法条文の日本語には矛盾するとしても自衛隊は合憲であると認めることができる、と考える立場もある。しかしこの立場にしても、「良 識」的な判断が歴史的に変化する可能性を排除することはできないだろう。)

こうしたパラドックスを避けて、純粋な「立憲主義」の立場を立てるとすれば、私たちは(5)の「原理的な立憲主義=不戦主義」か、(6)の「民主的な憲法制 定権力の行使による立憲主義」にいきつくだろう。

ところが(5)の立場は、「近代立憲主義」の理念に適うものではない。「立憲主義」とは、憲法によって政治権力を制約しようとする考え方である。これにくわえて「「近代」立憲主義」 という場合には、憲法によって個人権(自由権)を保障するために、政治権力を制約すべきであるという考え方になる。個人権の内容にもよるが、一般に国家が人々の個人権を保障するためには、対外的な防衛力が必要とな る。近代国家は、近代立憲主義の理念に立脚する場合には、正当な防衛権をもつ必要があるだろう。この考え方に照らしてみると、(5)の原理的な立憲主義は、自衛権を認めない点で、近代的なものではない、ということ になる。

(5)の立場、すなわち「原理的な立憲主義=不戦主義」を採らないとすれば、立憲主義の立場は、(6)のように、民主主義の力でもって憲法の文言を改定すべきであるという考え方にいたることになる。

(4)の「司法判断的立憲主義」は、逆説をはらんでいる。(集団的自衛権を認めざるを得ず、立憲主義の観点から「集団的自衛権」を否定することができない。)また(5)の「原理的な立憲主義=不戦主義」は、個人権を基本とする近代立 憲主義国家の防衛権と両立しない。立憲主義の立場を矛盾がないように採用するとすれば、私たちは(6)のように、憲法改正を民主的に議論すべきであるという立場に行きつくだろう。この立場において「立憲主義」は「 憲法制定権力を行使する民主主義」と手を結ぶことになる。

ここで反論があるかもしれない。「立憲主義」というのは、憲法9条を守る立場であって、憲法改正を求める立場ではないはずだ、と。

ところが現在の状況では、そうとも言えない。山元一は、論文「九条論を開く――〈平和主義と立憲主義の交錯〉をめぐる一考 察」のなかで、現代日本において新しいタイプの立憲主義が成立してきたことを、正しくも指摘している(水島朝穂 編『立憲的ダイナミズム』岩波書店、2014年所収、92頁、参照)。

現在、人々の多くは「平和安全法制」をめぐって、「憲法改正を経ずに集団的自衛権を容認すると、立憲主義が破壊されてしまうのではないか」と考えている。この考 え方は、戦後の平和主義に立脚する憲法学の立場とは異なるものであり、山元はここに、「比較憲法学上、「現代日本型立憲主義観念」の成立」をみてとっている。この新しいタイプの「立憲主義」に基づくなら、集団的自 衛権は、憲法改正のための正当な手続きを踏めば、認められる、ということになるだろう。この考え方は、平和主義に立脚してきた従来の立憲主義とは、まったく異なるタイプである。私たちはこの新しい立憲主義を、「憲 法改正型立憲主義」と呼ぶことにしよう。

(後略)

 

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