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抜書き 2015年安保法制と日本国憲法

  • 2016年3月19日(土) 02:17 JST
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時事問題

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木村草太×荻上チキ 2015年、日本の立憲主義と民主主義は揺れたのか?

(前略)

木村:今回の安保法制には、憲法9条違反の部分が含まれており、憲法学者の多くが憲法違反を批判しました。その批判に対して、合憲である理由を解釈論として説明した人はいなかったです。代わりに、 憲法を貶めたり、違憲だと指摘した人に人格攻撃したりする議論が多かった。それは、今回の法案を、憲法の文言や理念・体系から合憲性を説明するのが難しかったからでしょう。

そんな中、政権は「違憲だ」という批判を無視する一方で、 「違憲だけどやる必要がある」と開き直ることもできず、大きな欺瞞、ごまかしをし続けた一年だったでしょう。

荻上:感情論と「なんちゃって手続き論」が目立ちましたね。たとえば、「海外で母子が危険な目にあっているのに、出ていかなくていいのか!」と情緒に訴える議論があった。それと、今までも解釈改憲を繰り返してきたのだからという「なんちゃって手続き論」があった。

 後者は一見するとロジカルにみえ納得してしまいそうになりますが、結局は「許される範囲 の解釈なのか」を提示する必要があります。ですから、どう合憲なのかについて、適切な議論は示されなかった。

木村:憲法論議は、論点が錯綜しましたね。まず、政権側が自国防衛のための集団的自衛権は合憲だと言った。ですから、最初 の争いは「他国防衛のための武力行使が9条のもとにできるのか」という論点でした。

それに対して、憲法学者のほとんどが違憲だと判断しました。日本国憲法には武力行使を禁じる9条1項とともに、戦力をもたないと宣言する9条2項が あります。さらに、自国内の安全を守る義務を超えて、外国政府を守るための武力行使を根拠づける条文もありません。ですから、全面的な他国防衛や国連軍、多国籍軍参加はできないだろうと。

荻上:ここは憲法学者の9割くらいが合意し ていたわけですね。

木村:結論は「違憲」で一致していたとしても、どの点をもって違憲と判断したのかは人それぞれなので、どこまで合意していたのかはわかりません。

荻上:でも、9条で集団的自衛権は認められていな い、までは合意してるでしょ。

木村:それは、みんな合意しますよ(笑)。「参議院の任期は6年ですよね」に合意しますか?って質問と一緒です。合意もなにも……。

荻上:自明のものだったと。 木村:そうです。これは早い段階で決着がつきました。

ところが、その後、個別的自衛権は違憲なのか合憲なのかという、今回の法律とは関係のない議論をする人が出てきました。個別的自衛権も違憲だという人たちから、「 これまでだって解釈改憲が繰り返されてきたぞ」という議論が沸き上がって、(1)集団的自衛権一部合憲の政府、(2)自衛隊合憲・集団的自衛権違憲論者、(3)自衛隊違憲説と、三つ巴のような議論になって、ややこ しく感じた人もいるでしょう。今年問題になったのは、あくまで集団的自衛権の合憲性だったわけで、良い機会だからと個別的自衛権も違憲なんだと言いたてた人は、誠実性に欠けたように思います。

◇このビール、アルコール入ってますか?

荻上:安保法制賛成派の人たちは、憲法学者の「違憲」という判断をどのように聞いたのでしょうか。合憲だと思っていたのか、違憲だとわかって確信犯的にやったのか。

木村:日曜討論で岡本行夫先生、細谷雄一先生とお話したとき、お二人は「存立危機事態の条文にはほとんど使い道がない」とおっしゃっていました。だから、彼らにとって違憲か合憲かは大事な論点ではなく、仮に違憲だったとしても「どう せここは使わないんだから」と考えていたようです。

今回、安保法制に賛成した国会議員や国民の方々も、そのように思っているのではないでしょうか。つまり、彼らはノンアルコールビールだと思っているので、「飲むと酔っ払いますよ」 という呪文が利かない。

でも、反対の側からみるとすごい濃い酒、つまり戦争法案に見える。一番争点になった条文が、一方からは「使い道がない」、もう一方からは「戦争法案」に見えていたということですね。

私は憲法論以前に、法律の意味の理解が統一されない状況をどう扱うのかという問題だとみています。チキさんの番組でも散々やったけれども、結局あの条文がなんのために作られるのかわからなかった。

荻上:人によって説明体系が違いますよね。今回は、あくまでアメリカへの「お土産」であるとか、いやいや中国の牽制だとか、あくまで集団的自衛権を認めましたという言葉上の問題でしかないのだとか。安全保障の議論をする人の中でも筋 書きの統一がされていなかった。

木村:デモなどに参加して法案に反対する人たちは、この法律を最大限に濫用したら「戦争法案」になるといった。最大限濫用されたとしても、問題が起こらないようにするのが法律の条件なので、非常に重 要な指摘です。しかし、「濫用せずにこの範囲で使います」と政府に反論されたときに、そうした批判は無効になる可能性がある。

一方で、譲歩を引き出す戦い方もある。法制局や公明党は、集団的自衛権の発動要件を厳しく限定しました。 日本を元気にする会や新党改革は、集団的自衛権を行使する場合は、ごく例外的な場合であり、また、使う場合には例外なく国会の事前承認が必要だという附帯決議と閣議決定を付けさせた。全体を総合してみると、まあま あ歯止めはかかった。反安保の人たちが完全に負けたわけではない。

荻上:それはそれで勝利ですよね。政治的には「戦争法案」と言いながらも、実質的にそうなる可能性に歯止めをかけたのだから。

◇で、結局安保法制はどうなったの?

木村:このような経緯もあって、今回の安保法制は、肝心のところでなにが決まったのかはっきりしませんでした。つまり、存立危機事態がどのような状況なのか、説明できる人が日本にほと んどいない。

荻上:総理も説明してないからね。

木村:結局、横畠法制局長官が「存立危機事態条項を適用し得るのはホルムズ海峡の機雷除去くらいだ。他の例は念頭にない」という趣旨の発言をし、安倍首相は、ホルムズ海峡の 封鎖など現実には想定していないとしたので、事実上使えないところまでいったと思います。だから、この程度のものをつくるためにこんなに大騒ぎしたのか、というのが率直な感想です。もちろん、この言質を市民社会の 側がきちんと覚えていれば、という話ですが……。

一般に、海外での武力行使に歯止めをかけるのは、非常に難しい。そうとうにひどいことをやっていても、国内政治の状況には反映されません。例えば、ベトナム戦争をやめるまでに、アメ リカは何度も選挙をやる必要がありました。今回は、具体的にある国を空爆するという段階ではなく、武力行使の根拠法をつくっている段階にすぎませんから、武力行使そのものからは、だいぶ手前の話です。しかし、仮に 今回の法律が濫用されたときに、濫用を阻止するだけのしっかりした世論を形成できるのか。そこにはかなり不安が残る終わり方でした。答弁や付帯決議によって歯止めは一生懸命かけたのだけど、いざという時にそれを活 かせるのかはわからない。

荻上:多くの人は国会の論争を全部チェックできるわけじゃないので、オオカミ少年のように感じる人もいるでしょうね。「世の中終わるぞ」って雰囲気だったのに、法律ができてもみんな平和じゃないかと。

これは20年前からそうでした。「プロ市民」って言葉が使われたりするように、市民として活動している人たちが市民の代表ではなく「運動の論理」で動いていると指摘されてきた。でも、ぼくとしては、「運動の論理」で動いてなにが悪い のかとは思う。結果として、それが市民社会にいかなる影響を与えるかが重要ですから。

「民主主義って何だ?」という問いは大きいですよね。それに対して、簡単に「これだ」ということはできない。デモも、民主主義の補完的選択肢の一 つではあるけれど、それこそが民主主義だというわけでもない。それでも、簡単に「これだ!」と言ってのける、誇張と断言を続ける「運動の論理」に対しては、カウンターとして嫌悪感が醸成されることもあるでしょう。

今年も、「立憲主義とはなにか」という問いそのものが投げかけられた一方で、それを叫ぶ野党の支持率が伸びたわけではない。だから、分断されたのは、与党側ではなくむしろ市民レベルの感情だったのかもしれません。

今回の運動は、未だ安倍政権に対してのカウンターでしかなかった。「こういった社会を目指すために、こんな法案をつくろう」と、一つのアンサーをもっと出していく必要があったと感じています。自分たちの憲法観を示している分、単なる 「憲法を守ろう」よりも、改憲派のほうが元気なのかもしれない。

安倍さんは保守系論壇の王子としてやってきた人で、それは「反左派」「反マスコミ」がセットになったものです。自分は理想論の左翼に対して、本音を言っているんだと思 っている。「相手は結局同じことを言っているんだ」と左派の側を嘲笑するような文化の中で育ってきたと。内輪向けのリアリズム。そこに対しては理詰めで話をしていくしかないんだけど。

で、その状況をみた側が「そうか、両論あるのか 」と勘違いしてしまう状況がこの間続いてきました。立憲主義について関心は深めたけど、理解は深めたのか。この波が去っていく中で、もう一度アジェンダセットすることが求められるんだけれど。

木村:おっしゃる通りです。今回の法案では、アジェンダの設定の仕方の筋が悪かったので、メディアや理論的な賛成者、反対者がいくら頑張ってもちゃんとした議論ができなかった。だって、なんでこの法律が必要なのかわからなかったのですから。

荻上:その議題の設定が悪いのは改憲派の自信のなさにつきるのかな。

木村:確かに、改憲の提案を迂回しようとする行動ばかりでしたね。

荻上:今の状態だと、96条を取り下げ、9条関連をやらずして、 臨時国会をやらずして、それでも、さあ次の国会で改憲を問おうとしている。

木村:改正要件である96条を緩めようとして失敗し、安保法制で解釈改憲をやって、秋には、憲法53条に基づき野党が臨時国会の請求をしたにもかかわらず、 閉会中審議でごまかして……。

荻上:改憲の地ならしをしてきたつもりなんだけど。

木村:……なっているんですかね。

荻上:改憲論議そのものに「慣れ」ている面もあるんじゃないですかね。でもやっぱ り産経新聞では「もう行ける!」となっていますからね。意外と、そういう新聞のリアリティに政治家の人たちも引きずられている面があるのかもしれない。

◇憲法への欲望

木村:当たり前ですが、憲法改正自体は、立憲主義の 破壊ではありません。

荻上:そうですね。たとえば、結婚に関する法律を見直したっていい。いろんな性の形がイメージできる憲法があればいいかなって思います。憲法は国民が自由なふるまいをして怒られるようなものではないはずです。 今の憲法では「同性婚は認められていない」なんて話もありますが、木村さんはどうお考えですか。

木村:同性愛者や性的マイノリティの権利は、憲法14条が保障する「平等権」と「差別されない権利」として保障されています。そうした 権利を基に裁判で同性婚の権利を争えば、案外、勝てるんじゃないかと思いますが、まだ、裁判になったという話を聞いたことがありません。夫婦別姓については最高裁まで戦われたのと比べると、法律家からは「訴訟にし なければならないほど困ってないのね」とみられてしまうので、そろそろ最高裁で戦ってほしいですね。

荻上:特に数十年で日本でも性的マイノリティに関する運動が盛り上がりましたから、これからでしょうね。

木村:「同性婚は違憲だ」という人の中には、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と定める憲法24条を論拠とする人がいます。しかし、憲法24条は同性婚を禁止した規定であると理解するのは、法解釈学的にはかなり無理があり ます。

まず、もし、憲法24条に言う「婚姻」が異性婚という意味だとするなら、「異性婚は男女の合意だけでなりたつ」という条文になるのであって、同性婚については何も定めていないことになる。つまり、そこには同性婚が禁止の意味が含ま れていない。

次に、もし、憲法24条に言う「婚姻」が「異性婚および同性婚」という意味だとするなら、今度は、「異性婚および同性婚は両性(男女)の合意だけでなりたつ」という条文になり、意味不明になってしまう。「婚姻」が「異 性婚および同性婚」を意味すると解釈するなら、「両性」とは必ずしも男女を意味せず、「性」のある人二人を意味するものと理解して、男男や女女も含むと解釈せざるを得ないでしょう。

結局、憲法24条の文言は、どう読んでも、同性婚 禁止条項と読むことはできない。だから、憲法24条が同性婚を禁止していると解釈するのは無理です。

荻上:なるほど。同性婚は違憲だと読めないということですね。今の解釈の話でいうと、憲法では同性婚が認められるはずなのに、法律 で盛り込めていないと。

木村:24条は同性婚禁止規定ではないので、同性婚を認めるかどうかは、立法上の選択にゆだねられていています。同性愛に対する法律の態度には3つの態度があります。同性愛を刑罰などで禁じ る態度と、刑罰は科さないけれども、異性婚のような法律上の手厚い保護は与えない立場。それから異性婚と同じような法律的な保護を与える。日本は2段階目と言えるでしょうね。

結婚すると、扶養義務・貞操義務の設定や、相続分の設定 など、いくつかの法的な効果が発生します。法律婚によって得られる効果のほとんどは、両当事者が合意しさえすれば、個別の契約が成立し、裁判所もその契約の効力を認めます。だから、日本で同性婚が全くできないのか というとそんなことはない。

荻上:事実婚で契約書を交わすことはできると。とはいえ、情報のアクセシビリティにはずいぶん差があるよね。

つまり、結婚する人はそれらの制度を手に入れようと思って結婚するんじゃなく て、「私たち好きだから夫婦になります」と書類を1枚出したらパッケージとしてそれがやってくる。だけど、同性婚に関しては、契約書のフォーマットを自分でつくらなくてはいけない段階です。労力も大変でしょう。差 別的な状況にあるといえるはずです。

木村:確かに負担は大きいと思います。しかし、「十分な保護を与えていない」状態と、「禁止されている」状態とは意味が違いますね。法律論として分ける必要があります。

荻上:ぼくは、この話は憲法に対する「欲望」の話だと思っているんです。憲法それ自体がもつ象徴効果を期待して改憲を求めている。

木村:憲法上の権利の中には、法律で具体的に実現されるものも多くあります。例えば、 憲法25条の保障する生存権は生活保護法で、憲法32条の保障する裁判を受ける権利は民事訴訟法で具体化されています。「婚姻を保護してもらう権利」というものを憲法で保障しようとする場合、それを具体化するため にどういう法律をつくるのかをしっかりとイメージしないと意味がない。憲法の文言だけ変えても、権利は実現しないんです。

荻上:それはそうで、憲法を改正で社会を変えていこうとする人は、左派・右派問わず、憲法を大きな機能を果た す道具としてとらえている面がある。

それは一面として事実なんだけれども、同時に、個別の法律への議論に普段コミットメントしていない人が漠然と「憲法のこの部分を変えれば全体がよくなるに違いない」と思ってもふわっとした議論に なるだけです。

一方で、個別の議論を展開している運動家の人たちも憲法に若干の興味を示すのは、たとえばこういう法律をつくりたいというニーズがあっても国会議員や世論はなかなか動いてくれない。「そこまでやらなくても、違憲じゃないじゃん」と動かなくてもいい理由として言われることに対する、政治的いらだちがあって。そのあたりを「憲法でどうにかならないの」って木村さんに聞きにいくような状況だと思うんですね。

木村:「政治が動かないときに憲法は使えるのか?」ってことですね。憲法への期待とは、要するに裁判所への期待です。最高裁まで戦って憲法違反を勝ち取れば、政治は動かざるを得ないですから。憲法に期待が集まるのは、選挙という民主的なプロセスでは救い 上げられない声があることの表れだと思います。

ただ、やはり民主的プロセスも大事ですよね。すぐに憲法に頼るのではなく、民主的なプロセスできちんと権利を実現できる社会にしていかねばならない、という思いもあります。

荻上:一足飛びに「じゃあ憲法でお願いします」となってしまうと、トンデモ保守系の人たちがやってきた議論の劣化版になってしまいますからね。

基本的にはメディアと民間のNPO・NGO活動によるリサーチや問題解決 の枠組みづくり、それを使ったロビイングや世論に対するアプローチと社会運動と。民主主義がこれまでつかってきた古い枠組みの資本をフル活用していくことが必要だと思います。

デモは一番目立つタイプの運動なんだけれども、具体的な 法律がゴールになっていない以上、基本的には「どの範囲まで負けるのか」という戦いになるわけです。

社会運動の中で、デモというのは部分的な機能です。具体的な訴訟や立法手続き、統計調査、ロビイング等、さまざまな方法がある。そ れでもぼくは、やっぱりメディアと社会運動の力を信じているというか、確認しながらものを書いている人間だから、そこを護憲や立憲主義を言うときに軽視することがないようにしてほしい。

◇今の民主主義の現状です

木村:安保法制はかなり話題になりましたが、「次の選挙で自民党が負けるのは考えづらいし、結局、国民は経済政策が大事なんだ」という意見があります。チキさんは、どう思いますか?

荻上:そう思いますよ。

木村:株価が高いから?

荻上:株価も大事ですけど、失業率や有効求人倍率の改善、コアコアCPIの物価高が上昇の他、元の政策ターゲットが明確に示されていることが重要でです 。もちろん、カウンターとして「本当は安倍政権の経済政策には効果がない」という数値を列挙することはできるでしょう。「雇用が増えたと言っても非正規が増えているだけだ」とか。

木村:まぁ、そういう数字は探せばいくらでもあげら れるでしょうね。

荻上:しかし、今のところ、長期政権であるがゆえの経済安定性について具体的なNOは突きつけられていない。実際に投票した有権者にアンケートをとると、3回連続で経済政策を基準に選んだ人がトップでした。多くの 有権者が、この政権の経済政策に相対的に期待をもてるのであれば、それは投票行動につながるんじゃないかと思います。

でも、一方で野党はどんな経済政策を打つのか、パッケージとして提示していません。それどころか、それ以前の議論 で止まっている場合もある。「経済成長だけでいいのか」「金融政策は麻薬だ」というけれど、「じゃあ何パーセントのインフレ率ならいいのか」という議論はしない。

安倍政権は再分配政策の弱さがなネックだと思いますが、野党は再分配 を言っても、どういう分配が景気の刺激効果があって、貧困率を減少する目的があるのか、というような政策合意がなされていない。次の選挙までのあと半年ではおそらく間に合わない。

ぼくは、安倍政権側が、野党のお門を奪うような仕方 で、再分配のアジェンダセッティングをしたら脅威だと思います。もちろん、そうしたセッティングをしなくても普通に考えれば安倍政権の信任選挙ということになるので、再分配は争点になりにくいでしょう。つまり、争 点がないこと自体が安倍政権の「信任を問う」という争点ができてしまうことになる。次の選挙で野党が「安倍政権の暴走を止める」という論点になってしまったら難しいでしょうね。

木村:経済政策の選択肢がない状況なんですね。他方で 、「暴走を止める」と言われても、投票行動を変えるだけの力にはならないということでしょうか。

憲法違反は法的には一発退場ではあるけれど、民主的には一発退場にならない。立憲主義は権力側の自制がないとなかなか貫徹できない仕組 みです。最高裁の判決に従う、法律家が違憲といった場合には、政権も声を聞き入れるという態度がないと、立憲主義は侵食されていきますね。

荻上:さらに、違憲だと出るまでタイムラグがありますよね。自分が政権についている間は、ど れだけ違憲でも遂行できる制度になっているので、性善説的なふるまいを政権に求める面はある。

だから、違憲なふるまいをしたら、メディアが批判して、数年後には必ず損をするんだという感覚を政権の側に得てもらうのが重要だと思いま す。だから、安保の問題があれだけ注目されても、選挙にはまったく影響がないという感覚はけっこうこわい。でも、今は権威ある野党として機能するものがないから、市民の行動だけではその受け皿がない。経済政策のカ ウンターをしっかり出せる野党が必要になってくるのでしょうね。

木村:それが日本の民主主義の状況であると。

荻上:はい。いまはダラダラとした多党制になっている。経済政策のような成功している部分はある程度与党 からパクったうえで、加えて自分たちの得意な政策をすることが先なんじゃないか。片岡剛士さんの言う「良いとこ取りの野党」ですね

木村:今の選挙制度についてはどう考えていますか。

荻上:中途半端だと思います。だから、どっちかに絞ったほうがいいですね。完全比例か完全小選挙区。そうしないと、ダラダラとした多党制になってしまう。

木村:「執政プログラム」と憲法学では言いますが、国政の基本計画や基 本方針の作り方の現状に問題があると思うんです。 たとえば、アメリカでは、大統領選までに、それぞれの大統領候補がプログラムを練ってきて、そこで示されたプログラムを比較して、国政の方針を決めます。イギリスも二大政党で、党員 が草の根レベルから携わってマニュフェストを作り上げ、選挙の際に国民がいずれかを選びます。これに対して、ドイツなどの多党制の比例代表議会では、議会の中の多数派形成をしていく中で、プログラムをつくっていき ます。

荻上:といっても、ロビイングをしていると、多党であることの優位性を感じます。小さい党が多いと、訴えかけがやりやすいですし。二党制だと、この党の影響力のある人にすりよって……というプロセスが必要になってきます。で も、一方で、「党を育てる」という感覚を日本人がもつのも必要だと思っていますね。党の予備選をして各政党を民主化する方法もあると思います。

木村:そうですね。今の日本の問題は、執政プログラムの作り方が、国民から遠いものにな りがちだったということでしょう。各政党に悪意はないのだけれど、バランスが偏っていて、標準的な国民の意識とはずれてしまっているように思います。 荻上:自民党的再分配制度は、90年代まで機能していて、中央から地方に配るとい うことと、特定の支持団体――たとえば農家などに――分配していた。でも、いま貧しさの内容が多様化している中で、きめ細やかな再分配が自民党の中から創出されにくくなっている。だから、「再分配を再設計した保守 」が日本に生まれれば、それこそが野党の脅威でしょうね。

木村:立案のプロセスが自民党内でも変わってきているように思います。派閥の力が弱まって、党内で多面的な議論ができなくなってしまった。多様な意見を汲み取る仕組みをもつ 政党にしていったほうがいいですね。

荻上:ぼくは、この1年間憲法の話をしながら、経済のことを考えていました。なんで、民主党は経済の話をしっかりやらないのか。もしかしたら、今回のことで野党と与党の真っ向勝負の状況をつくれ るチャンスかもしれないのに。

木村:今日話をしていて思ったのは、執政プログラムの立案がとても大きなポイントになっている。安保法制は提案の仕方がすごく悪かった。安保法制のプログラムが非民主的につくられていて、内容がとても わかりづらかった。憲法違反はプログラムが稚拙だったことのひとつの要素に過ぎないでしょうね。

荻上:今回の安保法案をめぐって、いろんなほころびが見えてきたからこそ、それぞれの改善策についても多くの人に知ってほしいというの はありますね。これを機に個別の政策をもつ人に興味をもつ人が増えてほしいなぁ。

安保法制という多くの人たちから少し遠いような法制で、あれだけ多くの人たちが関心を示した。とするなら、年金であるとか医療、障害、それらの幸福追 求の形や財政の話を議論できる自分のフィールドをみつけてほしいなと思いますね。

(了)

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